平和の反対は危機、戦争の反対は対話

現状、学校の国語では「平和の反対語は戦争」と教えています。

これはロシアの文豪トルストイの著作「戦争と平和」に引っ張られてのことだろうと推察します。

 

しかし考えてみれば、「平和」と「戦争」を対概念(ついがいねん)とするのは、論理的におかしな話です。

(互いに反対の概念のことを「対概念」といいます)

 

もし仮に、日本が全国的に食糧難になって、餓死者が何万人も出るような飢饉(ききん)に陥ったとしたら、それは平和でしょうか?

地震津波によって数万人規模の死者や行方不明者が出たら、それは平和でしょうか?

 

社会が平和でなくなる要素には、確かに戦争も含まれますが、その他、飢饉や天災も含まれます。それらを総称するならば、「危機」です。

例えば、1962年に起きた「キューバ危機」の「危機」です。「危機的状況」と言うときの「危機」です。

 

そして、「戦争」の反対は「対話」です。どちらも「外交手段」のうちの一つです。

 

国際的に「平和維持軍」(国連平和維持活動、PKO)が組織されたことがありましたが、

「平和維持のための武力」ということに、疑問を感じたことはありませんか?

 

つまり「平和を維持すること」=「危機的状況を打開すること」

であり、そのために「対話」と「武力行使」の両方の可能性があるのです。

 

今後、憲法改正を議論する際には、

「平和の反対は危機」

「戦争の反対は対話」

であることを認識しておくことが必要です。

 

【筆者】

すが教(きょう):工学博士。専門は量子化学。2010年、当時の政治に疑問を持ち、その後、大阪・神戸で政治家秘書を経験。